戦後80年の、長崎原爆の日でした。

私の地元佐賀県は、長崎県のお隣。特に佐賀県の中で私の地元は、長崎県長崎市により近い西南部です。

両親から、終戦当時の長崎市の様子を聞かされて育ちました。何度も長崎市に連れて行ってくれて原爆被害の実相を、資料館などを通じて見せてくれました。

その際に知った、永井隆博士の著書にある、「この子を残して」という言葉は、私の脳裏に強烈に焼き付けられ、二度と原爆が使われることがあってはならないという思いは、子どもながらに、私の中で固く形作られました。

永井博士は、長崎市の浦上を最後の被爆地にとの言葉も残されています。それを成す責任が、現代を生きる我々にはあります。