諫早湾干拓の開門訴訟。今日の福岡高裁での判決は、開門請求を認めず。
裁判所の判決がまたしてもわかれる、との報道に当然なりますが、繰り返しこのブログでも書いているように、これは日本の裁判制度を前提とすればあり得ること。

日本の裁判は、具体的な人に対する、具体的な被害があったり、利害関係があってはじめて成り立ちます。すなわち、それに対する判決というのは、その個別具体的な事例に即して出されます。

したがって、ある漁業者が訴える被害については開門が妥当と判断したり、ある漁業者の被害については開門までは必要ない、と判断したりすることがあり得るわけです。

今回もそのあらわれです。

そこで言えることは何か。安倍政権が、開門問題について、「まずは裁判の成り行きを見る」とのスタンスを取り続けていることが、いかにおかしいかということです。

裁判は、具体的な被害を受けた人、について延々と起こり得ます。したがって、裁判の成り行きを見る、では永遠に開門しないということを言っているのと同じ。

言葉を変えた不作為、言葉を変えた開門拒否。

極めて不誠実な態度です。